室町時代 世田谷城主吉良頼康には 家臣の奥沢城主大平出羽守の娘で 常磐姫という美しい側室がいて頼康の 愛を一身に受けていたが古くからいる 側室達がねたんで常磐が不義をしたと あらぬ告げ口をしたので遠ざけられた。 悲しんだ常磐は幼い頃から愛育した 白鷺の脚に遺書を結びつけ両親の住む 奥沢城に放った。 |
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たまたま奥沢城付近で狩りをしていた 頼康が白鷺を射落としたところ脚に手紙が 結んであったので開いてみると常磐の 遺書であった。頼康は驚いて急いで 帰館したが ときすでに遅かった。 白鷺の射落とされた場所から一本の草が はえやがて鷺に似た可憐な花をつけたのです |
「世田谷区の花」に指定されている
九品仏境内にある「区立鷺草園」を
訪ねてみました。
(2003年8月2日・7日に撮影)
鷺草について
サギソウにまつわる悲話もいくつか
伝えられていますのでその一つを
ご紹介します。